Posted in weblog on 2019-03-23 by StimulatingHormone
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移転作業完了
和塩から新たな無料サーバーへ
Yahoo!ジオシティーズ(和塩)が2019年3月31日でサービスを終了することに伴い、このたび、新たな無料サーバーへ移転した。移転してみて、Yahoo!ジオシティーズより良くなった点をまとめてみる。
- 容量が増えた。と言っても和塩の無料版で容量にはまったく困らなかったのだが。
- PHP、.htaccess、mod_rewrite機能、SSL機能、sendmail機能、cron機能等が利用できる。和塩の無料版ではいずれも利用できず困っていた。
- 無料のサブドメインのAレコードを本サーバーへ割り当てることにより、当該サブドメインを利用できる。和塩ではあり得なかった。
- 無料サブドメインのMXレコードを本サーバーへ割り当てることにより、当該サブドメインで電子メールのアカウントを作成できる。和塩では(以下略)
いやっほー!!
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Posted in weblog on 2019-02-11 by StimulatingHormone
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FlatPressに乗り換える理由
ThingamablogからFlatPressへ
当サイトは、2011年からThingamablogというJavaベースの静的サイトジェネレータで構築されてきた。このたび、Yahoo!ジオシティーズ(和塩)がサービスを終了することに伴い、無料サーバーへ移転させることにしたが、これを契機にThingamablogの利用を止めようと思っている。そして、FlatPressというPHPベースのフラットファイルCMSに乗り換えるつもりでいる。なぜか。
- Thingamablogの更新が止まっている。これが一番大きい理由。更新が止まれば、ユーザーが減り、新しいテーマに変更したくても誰も開発していないという状況に陥っている。だからモバイルフレンドリーなレスポンシブデザインに変更したくても、自作しなければならない。
- 移転予定の無料サーバーではPHPが利用できる。このPHPを使わない手はない。なお、PHPを使わず、Thingamablog以外の静的サイトジェネレーターで構築するという手もあるが、HugoやJekyllといった最近の静的サイトジェネレーターを試したところ、ギークなエンジニア向けのものに映り、しっくりこなかった。私はエンジニアではない。
- DBMS依存のCMSは向いていない。無料のDBMSは安定性の面で信用しづらい。また、バックアップの手間を鑑みるに、DBMSにMySQLやSQLiteを利用するCMSは候補から外れる。簡単に言えば、WordPressはあり得ない。したがって、フラットファイルCMSが候補に挙がってくる。
- 重量級のCMSは向いていない。無料サーバーのFTP転送は安定性の面で信用しづらい。バックアップの手間を鑑みるに、軽量級のCMSのほうが向いている。
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Posted in weblog on 2012-10-07 by StimulatingHormone
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Thingamablogのテンプレート
テンプレートを晒す
Thingamablogのテンプレートを晒すテスト。Thingamablogでは、以下の5種類のテンプレートを用意しなければならない。
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Posted in weblog on 2012-03-20 by StimulatingHormone
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テスト投稿4
テキスポがサービス終了
ウェブ出版サイトのテキスポが、2011年12月をもってサービス停止させていたので、そこに貼られていた『コピペ博物館』から一部転載するテスト。
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Posted in weblog on 2012-01-13 by StimulatingHormone
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テスト投稿3
画像のテスト
3番目のエントリーで、おそらく最後のテスト。まずは、Yahoo!ボックスという無料オンラインストレージサービスに保存した画像(Windows Vistaのスクリーンショット)を直接参照してみた。しかし、裏技を使わなければできないので、このオンラインストレージ、使い物にならない。簡単に画像を直接参照できるJavaScriptコードをサイトで提供すればいいのに、と思う。
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Posted in weblog on 2011-12-28 by StimulatingHormone
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テスト投稿2
引用のテスト
2番目のエントリーもテスト。例として新約聖書から『愛の讃歌』を引用してみる。
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも耐えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られるように、完全に知るであろう。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
コリント人への第一の手紙 第13章(口語訳聖書)
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Posted in weblog on 2011-12-27 by StimulatingHormone
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